想像力の欠如
今日は、最高5度、最低0度の気温で、
4月なのに、また雪。
降ったり、やんだりしていて、
お昼は、みぞれのような感じだったが、さっきは結構降ってきて、
驚いた。まるで冬に戻ったみたいだ。
さて、今日は心のことについて書こうと思う。
私のここ数年のテーマ(課題)は「柔軟性」のように感じている。
いろんな意味で、柔軟に生きる、ということがとても必要で、重要な時期になっている。
が、かといって、いきなり、、
「よし、柔軟な気持ちになろう!」とか、
「自分の判断基準(物差し)を捨てよう!」というような目標設定をしてしまうと、
難易度が高すぎる。
最近気が付いたが、
「ものさし(経験や自分の価値基準)をすてて、人のことを受け入れる、とか
人のことを理解する」というと格好は良いが、いきなりここは無理。
ずっと、私には無理があった。
それよりも、
自分の物差し(価値基準)を疑う、という心の作業が大事だと気が付いた。
自分の持っている物差しが、そこそこ50年程度の自分の経験や、文化的呪縛、そのようなことからしかきていない、大したものでは全くない、とおもえば、
そんな物差しを振り回して、人様のことを判断したり、
また想像したり、、ということは、全くおかしなことだと、気が付く。
自分が滑稽に見えてくるのだ。
要するに、人のことをどうこうと判断してしまう自分の前提に
自分の想像力の欠如がある、ということを、
心から知らないといけない。
そうすれば、柔軟になれるし、
人のことをリスペクトする自分の心の空間を失わないで済む。
そんなことを、最近感じている。
おわり~~^^
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