自分の基準
ここのところ、札幌は最高気温10度を超えない日々が続いている。
今日は近くのドラッグストアに買い物に出かけたが、歩きながら、
最近生まれてきた「2つの脳」(福岡脳と、札幌脳)になって、寒さを感じてみた。
福岡脳は考える。
「ひえ~っ、こりゃ寒か。一番、寒かころたい」
札幌脳は言う。
「今日は雪も降ってないし。まだまだだよ^^あったかいっしょ!」
基準をどっちの脳にするかで、同じ気温の感じ方は全く違う。
毎日のことに置き換えると、、
「基準をどこに置いているか」ということが、(つまり、自分の価値観なのだが)
かなりの確率で、自分自身の、日々の幸せ度を決めているように思える。
最近また口内炎ができて、数えるところ、4つほどあるが、それもいい例だ。
ネガティブ脳「こんなにできて、よほど私はつらいのだろうか・・~だし、~だし・・」
ポジティブ脳「いやいや、口内炎程度だよ。すぐ治るし、前向きに頑張ろう!」
これも、とらえ方の違いだが、、
後者を選んだほうが、やっぱ、口内炎も早く治りそうだ。
与えたられた環境や、自分の立場は、すべて自分が選んできたもの。だとおもう。
選択していないように見えても、実はすべて選択している。
なかなか自分自身には見えない、細かい心の動きも、含めて、やはり責任がある。
(口内炎をここまで作ってしまうのも、究極を言えば、自分のせいなのだろうと思う。)
だから、大変だとかつらいとかいってもしょうがないし、
また、人と比較してもしょうがないし、
自分自身に与えられたすべてを、ちゃんと感謝をして、謙虚に受け入れ、
そして、全力で頑張っていかないといけないんだと、おもう。
(なんて書いていても、ときには負けそうになるのだが、そう、自分に言い聞かせている。)
謙虚であったり、感謝であったり、
そういうことは、目に見えることではないけど、
不思議なもので、人はお互いにそれを感じ取っているんだろうと思う。
私も、こうして生きていることに感謝して、
仕事を与えていただいて、毎日、頑張れる場所があることに感謝して、
頑張っていこうと思っている。
基準を、低く、低く、もっともっとできれば、
感謝の世界しか見えてこなくなるんだろう。
自分の現在をいろいろと変えようとすることより、
心の位置を変えてみることのほうが、大切なことなのかもしれない。
全くできていないのだが、、
感謝のあふれる自分に、私はなりたい。
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